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忘れるまで忘れません。

と言ったのは確かクレヨンしんちゃん。
「忘れようとしても思い出せない」と言ったのは確かバカボンのパパ。
天才バカボンとかクレヨンしんちゃんってこういうププッと笑いながらもハッとさせられる言葉が多いなぁと思う私です。

そんなに深い意味はないのかもしれないですけどね。

「記憶」というものに関して色々と思うところのある私はなんとなく深読みしてしまうのです。

私は忘れたくても忘れられない記憶を持っています。
でも、基本的には忘れないように生きてきました。
人は皆忘れないように努力することを義務教育で強いられたはず。
だから忘れない努力を怠るのはいい加減な人間のすることだと私はずっと思って来ました。
あくまでも「努力を怠る」ことが悪なわけで。
忘れてしまうこと事態に罪はないと思っています。
忘れてしまうことは誰にでもあるし、忘れていくことによって脳が正常に機能するのだし。
ただ、忘れられることは悲しいことですね。

悲しいで済むうちはまだいいし、「忘れちゃったの?」って聞けるような内容ならまだなんとかなるのかもしれないですけど。
腹が立つようなことにまで発展してしまうこともあるし、聞くと本末転倒になってしまったり自尊心を傷つけられたりするような内容な場合も少なくないわけで。
「忘れる」ということ自体は仕方のないことでしかないので難しいですね。

私は数年前からうまく記憶出来ないという状態で苦しんでいます。
数年前といってももうすぐ10年になります。
早いもので・・・

専門のところで診ていただいていますが、今のところ定期的にチェックする以外特に何もできることがありません。
原因は忘れたくても忘れられない記憶のいくつかが何十年も強く残り続けていることだそうです。
私自身は映像としては断片的にしか覚えておらず、はっきりと覚えているのはその当時の自分が押し殺した感情だったりします。

忘れられないことがある。
トリガーに触れれば過呼吸等の発作が出たり、悲鳴を上げながらしゃがみこんでしまったり、思考停止して動けなくなってしまったり。
極稀に夢にも出てくるし。
自分から思い出そうとすることなどないのにいつまでもその記憶にとらわれていて辛い。

というようなことを人に言うと「時間が解決してくれるよ」と言われることが多いのですが、一番古いものだともう30年も立っているのにちっとも薄れてくれません。
まるで焼き付きを起こしているよう。

忘れることは既に諦め、その記憶によって歪んでしまった認知を軌道修正すべくカウンセリングに通ったり、少しでも好きなこと得意なことを続けたり伸ばそうとすることで自己評価の低さをなんとかしようとしてきました。
それはそれとして、やはり一番困っているのは「覚えられない」ことで。
息子が入園したあたりから本格的に困って来たのでとにかくノートやPC、携帯電話のカレンダー等を使って二重にも三重にもメモを取るようになりました。
忘れちゃいけないのは基本的に「約束」ですが、調子が悪い時は本当にとんでもなく物覚えが悪くて、後になって友人から人非人扱いを受けたことも決して少なくはなく。
人との会話も箇条書きでメモるほど焦っていました。

そんな感じのある日、私は人に約束を忘れられるという立場に。

とても悲しかった。
怒るより先にああ、きっと忘れない努力をしてもらえなかったんだ。
私なんてその程度の人間だものね。
そうやってひとしきり落ちるところまで落ちた後に次に怒りに変わり、最後には諦めに変わりました。
なにより悲しかったのは覚えていた私が揶揄され、忘れた人がかばわれたことでした。
なんとも言い難いショックを受けました。

その辺りから少しずつ考え方が変わって行きました。
元々忘れられないことがあって苦しんでいる私がこんなに必死で忘れない努力をしているなんてなんという矛盾なんだろうとか。
みんな平気で忘れていくのになぜ私はこんなに必死に対策しているんだろうとか。

とどめとなったのは「都合のいいことばっかり覚えてるよね」と言われたことでした。
忘れてはいけないと思ったもの、忘れたくないと思うほどうれしいことをメモっていった結果がこれでした。
確かにメモるメモらないの判断をしているのは私だから私の都合ではあるんですけどね。
でも、今まで生きてきてこれほど酷いと思った言葉は正直ありませんでした。
とてもショックで。
何もかもひとりでできればいいのに、ひとりで生きていければいいのにと思いました。

それから私は息子関係と自分の仕事や趣味の〆切りぐらいしかメモらなくなりました。
二年ぐらい前から人に一旦何かを渡したらもう捨てたものと思うようにしようとしてきましたが、その思いもいっそう強くなりました。

覚えていると嫌なヤツ扱いをされる。
だったらもう私は最低限の努力しかしたくない。
悲観するのも怒るのも大切な相手だからこその感情だったのに。

ということを度々思っていて。
どうにもショックが拭い去れないのでここに書いてお弔い。
もう言わない。

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